「書いている」という感覚
腰もだいぶよくなった。
かばいながらではあるが、仕事の遅れを取り戻し中である。
そして、現在今だかつてないよい姿勢でこれを書いている。
椅子にきちんと座り、背筋はまっすぐ。
なんだか、できる人っぽいなぁ(笑)
ずっと「腰が痛いよう」と携帯から更新した数日であったが
PCのキーボードのほうが書いていて断然気持ちいい。
ガラケーのてこてこ、もしくはてまてま打つ感じや
PCのパシャパシャ打つ感じがブログを書いてみても
書いている自分にリズムが生まれるようで、
自分はなかなか好きだ。
アナログで書くときにはこれに紙やインクのにおい、筆圧が加わる。
からだ全体で「書いている」という感じはこころにも響くのか、
”嘘を書く”ときに違和感が残る。
ノートやメモに書くときは特に感じる。
デジタルなものの目指すところは、スマホ以降どうなるのだろう。
この、五感に響く「書いている」感じを促す方向へ進んでいくものなのか?
それとも
なるべく「書いている」感じを消そうとするものなのか?
前者が「脳(もしくはこころ)―手―見える化」の関係で
後者が「脳(もしくはこころ)―見える化」だとすると、
頭やこころで考えていることが瞬時に見える化されてしまう。
スマホを使ってみて、
- どうもこの「書いている」感じが少量すぎること
- 速さ重視の「書く」行為であるのを感じること
は、(自分も含めた)読み手への思いやりのようなものをつい忘れてしまう。
ときどき、ものすごいおかしな漢字変換をしていたり、
それに気付かなかったりする。
それに、アナログだろうとデジタルだろうと
「伝えたくても、上手く相手に伝えられない」問題を克服するのは難しい。
技術に溺れないのが一番大事なのかなぁ。
ゆっくり「書いている」という感じを味わう、
というより、自らに味あわる書道やペン字の流行は、
ただ字体だけに気をとらわれているだけのものではないと感じさせられる。
ふぅ。
久々ににっきを書いたなぁ。
という感じがする。