風邪っぴきの発想〜続・書くことと押すこと〜

まともに風邪をひいています。
家族に「なんか熱くない?」と言われ、
ああ、この苦しさは発熱だったのかと気づくという
まぬけっぷりを発揮しています。

そんな今朝みた夢というのが、三浦しをんさんのエッセイのなかに
自分の地元のファミレスが出てきて興奮し、
「三浦さーん、三浦さーん」とファミレスに出向く・・・
もう馬鹿です。

(もうすぐ三浦しをんさんの新刊が出ます!)

政と源

政と源

馬鹿になれるというのは大好きってことかもしれません。
(ちょっと名言っぽく書いてみましたが、あまりそう見えない・・・)


さて、横たわって唸りながらも携帯が手放せません。
以前書いたエントリーをアップしてから、
改めて今の時代における書くことについてふと考えることが二つあります。

まずは、PCや携帯世代にとって書くこととは打つことである、
ということです。
もとは変換するものでなく脳裏に直接浮かぶ漢字が、
近ごろはすっかり「選ぶ」ものになっているなぁと感じます。

私の友人に書を書かれる方がいらっしゃいます。

毎回お便りを頂くたびに「素敵だなぁ」と感激させられて、
なんだか子どもの頃に習字をかじったこちらまで、
「美しく」ではハードルが高いので
「のびのびと(した字で)」お返事を書いてみようと意識すると
書くことそのものの愉しみを感じることができます。

同時に、「自分にもこんな字を書けるのだな」というよろこびと、
「いつから自分は、自分でも読めないようなこんな走り書きの文字しか
日常的に書けなくなってしまったのだろう?」と考えさせられます。

すると、ちょうど携帯でメールしたり、PCでタイピングすることに
はまり始めたころ重なります。

今の自分は紙が相手でも「文字を書いている」のではなく、
紙の上に文字を”打っている”感覚で書いているのだな、
とと思うと腑に落ちました。


えーと、二つめはちょっとまた趣向が変わります。
デジタルの絵文字や顔文字はすごいなぁ、というおはなしです。

プライベートで顔文字を制限される機会があったときに、
自分は「イラスト(絵文字・顔文字を乱暴に称してみます)」
に思いをのせて書いているところがあるなぁと考えました。

LINEのスタンプとふきだしのある、あの画面にいたっては、
「もうこれ、まんがを描く発想に近いんじゃないか!?」とさえ感じてしまいます。

自分などは、かわいいスタンプの数々を眺めているだけで、
なんだか「いいなぁ」と悦に入ってしまいますが、
イラストを楽しく消費できるだなんて、これはこれでいい時代になったのか
そうでないのかはまだ分かりません。

いずれにしても、
今の自分だちが”打っている”または”(スタンプを)押している”この画面を
何十年後かの人間や宇宙人がみたら、
今の私たちが古代のレリーフをみる以上に
「なんだ、この文化は・・・!?」と感じるだろうなぁ、と思うと
にやにやしてしまいます。

はい、完全に風邪っぴきの発想ですが、
長々とお付き合いいただきありがとうございます。