夢中になれる好きなことがない人へ〜となりの芝生はいつだって青い〜

気がついたら、すんごい量の汗をかいて目覚めてしまった。
このにっき全体がそうだが、
こんな時間に書くものなんてろくなものではないことを断って書くことにする。


昔からたまに言われるのだが、
しっかりしているというかちゃんとまともに生活してる人に
「好きなものがあっていいね」
「自分にはそんなに夢中になれる勇気がない」
といった旨のことを言われる。


そういう人と話してみて思うのは、
こちらが羨ましくなるくらい
その人にもちゃんと好きなものや大切にしたい人がいるのだ。

ただ、彼らはきちんと優先順位をつけて
彼らのそのときの生活を選んでいるだけであって、
好きなものは胸のなかに生きている。

のんべんだらりんというか、
いつまでたっても子どものように迷って
いつだって変動・変更可能な優先順位をつけられない自分より
彼らのほうがずっと大人で、
自分の人生や好きなもの、そして自分の大切な人に対して
誠実なのではないかと思う。

自分にとっては、
彼らの胸のなかで息づく
「気になるけど一歩踏み出せない」何かに対する思いのほうが
ずっと熱いものに感じられる。

『抑えても抑えても滲み出てくるのが個性』なのだと
長らく自分の尊敬する方が仰っていたが、
彼らの秘められた熱い思いを感じると、
その言葉を思い出して羨ましくなる。


年の瀬になり、2013年を振り返っていると
そういった熱い方々に出会えた一年だったなぁと思う。

彼らのそうした個性を感じるたびに、
「個性とはなんと美しいことよ」と思ったものである。

そして自分もそろそろ、それなりの優先順位を決めて生活をしないと
また、こののんきでだらだらした生活が続いてしまうなぁ・・・
と、何かにつけて思うのだが、
どうやら今の自分―というか”今までの自分”と呼びたい―は
好きなものがいつでも手の届くそこかしこにないと、
落ち着かないらしい。困った性分だ。


そんなわけで、ちょっと形がちがって見えるだけで
誰にでも夢中で好きなものはちゃんとある。
となりの芝生の刈り方が青く見えているだけだ。


※こういう抽象的なことは書くまいと決めていたが、
 年の瀬マジックに敗北した。お許しください。