ラグビー観戦の文法を知りたい理由
Yeah! Yeah!(※ノリノリです)
ラグビー日本代表のウェールズ戦@秩父宮をTVで観てました!すごいすごい!
勢いで桜のジャージを買ってしまいそう。
日本代表っていうの?ジャパンって呼べばいいの?
と、ラグビー観戦の文法どころか、基本的なところもあやしい自分ですが、
そんなド素人でもわかる魅力ある試合でした。
また地上波で中継してほしいな。
ラグビーって、自分にとってとても遠い競技なんです。
今でこそ女の子でもプレーしているシーンをニュースで見かけたりするけれど、
初めて女の子がラグビーをやっているところをみたときは目が点になりました。
遡ること何年だろう。
TVで早慶戦を観たり、同じ塾の先輩にラグビーの話を聞いたり、
花園のお土産をもらったりするうちに
自然と興味が湧きました。
端正な顔立ちなのに、普通に顔面骨折したまま塾に来たりしてて
「私の知らないこの世界には、なんだかすごい世界があるぞ」とわくわくしたものです。
私の生まれ育ったところは保守的な田舎だという一言で片付けられられそうだけれど、
顛末を書きます。
中学3年生のとき学校には部活がなかったので
学校の週1のクラブ活動では、ラグビークラブに入りたい
と希望調査書に書いて提出しました。
その後のラグビークラブ担当の先生からの返答が
先生「女子だから。」
私&友人「マネージャーでもいいです」
先生「それは無理。」
・・・終了。
それ以来、なんだか女子ってだけで、
踏み込めない男だけの世界なんだなぁと
第3希望の囲碁・将棋クラブの部室の窓から校庭で楕円球を追いかける男子たちを羨ましく眺めていました。
胸にモヤモヤした思いを抱えながら。
中学生にもなって、男の子と一緒にまともにプレーできるなんて自分でも思ってなかったし、
用具の準備やそれこそ予算をとってくるだけでもいいから
何らかの形で少しでも関わりたいのに「女子」ゆえに叶わぬ思い・・・
決して甘酸っぱくはない片思いですねぇ。
私はそれこそ中学生のころ、
自分が女に生まれてしまったことがすごくいやでした。
女に生まれてしまうと、社会的に働いたり勉強したりするのに無条件で圧倒的に不利なんだな
という事実を突きつけられることが中学生のころにとても多かったからかと思われます。
だから「女子だから。」という一言も、
それに反論できなかった自分にも、己の脆さを提示されたような出来事でした。
近頃は、こういう類の話になると、男女の平等と機会の平等どころか
平等と同等さえ履き違えてる人がいたりもして
なんだか話も事情も互いにこじれちゃったまま進行しているような印象を受けます。
(全然詳しくないので、なんとなくなイメージです)
歳をとったせいか、自分はこういう類の話は
モヤモヤしながらも諦めているというよりは
諦めたふりをするのが上手くなったなぁ、と思います。
ということは心のどこかに、まだ数パーセントくらい
男と対等に戦って勝ちたいって気持ちがあったりするのかなぁ。
なんて幼い発想なのだろう。
なんだか恋愛性のルサンチマンとか含んだところからの発想に思えて、書いてて恥ずかしくなってきた。
こんなことを思い出さないように、
早くラグビー観戦の文法を学びたいなと思う蒸し暑すぎる午後でした。
いろいろと汗臭いエントリーですみません。