【教訓】疲れる前に休んでおく

2013年6月の仕事も今日で閉店。
クタクタだ。

晩ご飯を意地で食べてから横になり、
この時間になるまで眠りについていた。

こんな数時間で元気になれるなら、
もっとこまめに休日・休憩をこまめに取り
体も心も休めるべきだと再確認。

それにしても、
いつから自分はこんなに仕事が少しばかり楽しくなってしまったのだろう?
そして、愉しいと思うと大抵のことにははまってしまい
クタクタになるまでがんばってしまうのだろう?

私は昔から忙しいのが好きなところがある。
水泳とピアノ以外の習い事や塾は自分で勝手に決めてきては、
母親に「行きたいの!やりたいの!」とせがみ
一週間に放課後の予定が習い事や塾でうまっていることに安堵していた。

中学入学まで、この状態だった。
毎日、学校の外に夢中になれることや
他の学校に通っている友達がでいるのが楽しかった。
毎日がエキサイティング!

もちろん、空きがあるときは同級生の友達とも遊んだし、
それも楽しかった。


数々の習い事が私を惹きつけたのは、
「空間移動」と「異空間」そして「優しい先生の存在」ではないかと思う。

プールまで通うバスの帰り道は、自宅からは遠回りのコースで走る。
小さなお菓子を買って友だちと乗り込み、
友だちがのほとんどが降りてからはほぼ貸切り。
ぼんやり外を眺めていて、静かだけれどあたたかい空気の車内で
うっかり寝てしまうこともあった。
停留所に着くと、運転手さんが起こしてくれる。

ペーパードライバーだった母親が送り迎えのために
運転してくれるようにもなった。
車内で会話があったのか、なかったのかは覚えていないが
たぶんぼけーっとしていた。
このぼけーっとする時間というのが、自分にとって大事だったのかな?と思う。

プールに通っていたことは自分の中で今も息づくキラキラした時間で、
級が上がっていくことや、
コーチのさりげない一言で自分の泳ぎがよくなることが分かる楽しさがよみがえる。
(でも、スタートだけは本当に下手なままだ。
できるなら、今からでも市民プールで練習したいくらいだ)

記録会では必死で泳ぐ余り、背泳ぎでは頭でゴールしたことがある。
ストップウォッチを持った記録員さんの爆笑と、恥ずかしさと、
こんなに自分って必死に泳げるんだと思った経験だった。


こんな具合で一週間の予定が埋まっているものだから、
いつもはぐうたらに学校生活を送っているものの、
学校とはなんと狭くて一義的で自由度の低い、
面倒な空間だと小学生のときはぼんやりと感じていた。

そういう面倒くささからの開放が、忙しいけど楽しい日々を作っていたんだろうな。
翻っていえば、思い切り開放される時間がなければ、
自分にとって学校生活だけでは満たされないことを直感していたんだろうなぁ。

小学校の頃の自分を見習って、仕事以外の世界を開拓したいところだが
今はあまりにも疲れすぎている。
この日記で綴ってきたように、ほしいものリストの呪縛から逃れられない日々を過ごしているんだろう。


それでも4時間くらいの睡眠でここまで回復できるなら、
まずは休むことを覚えることだ。
何にもとらわれない、静かでゆったりした時間。

何かに夢中になって時間を過ごすのは、
それを覚えてからのステップにあるのかもしれない。