オフに頭をよぎること

毎年、Jリーグがオフになるこの時季はのんびりしすぎていて退屈だ。
週末も時間を持て余しがちだが、今年はちょっとちがうみたいだ。

仕事で何かとバタバタしていたのと、サッカー以外の趣味を充実させる方法が少し分かったからか
週末にゆっくりのんびり過ごすことに罪悪感がなくなったきた。

わざとサッカー番組のDVDをストックしておいたのもよかったみたいで、
毎年「いやだーオフだー!寒いしやることないよー!」と大騒ぎして
周りの友人たちに迷惑をかけご厄介になっている自分にしては、
かなりの成長曲線をみせたオフだと思う。


そんななか、まぁ昨日の今日でこんなエントリーを書くのも結構気が引けるのだが書いてみる。
(ここからが本題のつもりで書き始めたが、前置きが長くなった。すみません)


ソチ五輪はそれなりの興味を持って観ているけれど、
画面に向かって身を乗り出したり、思わず声にならない声が出てくることも感じられない。

寧ろ、ぼんやり「勝利至上主義ってなんなんだろうなぁ・・・」などと思ってしまうくらいである。

自分の競技歴や観戦歴を振り返ってみると
勝利至上主義で競技観るのは、メディアスポーツ独特の競技の盛り上げ方とそれに内包されるTV観戦のスタイルに思える。
近年では、これをネットというコミュニケーションが助長したり緩和したりしているようにも感じている。


自分はスポーツを「やっていて楽しい」のがいちばん、
自分なりに「美しい」のがいちばんだった。

否、競技を通して自分のなかの楽しさや美しさが更新されていくプロセスがスポーツをやっていて一番楽しく
やっていてよかったなぁとしみじみ思える瞬間だった。

勝っても楽しくないときは嬉しくないし、
負けても納得していればそれでよかったという、
勝利至上主義からはかけ離れた競技者だった。

だから学校の部活動より、地域のクラブのほうがずっと水が合ったのだと思う。
(Jリーグが好きなのは、そうしたクラブチームだらけだからだと勝手に思っているけど
最近ちょっと変わりつつあるみたいだ)


今回のオリンピックでメダルを獲っている若い選手たちのインタビューに耳を傾けると、
「この子は今までの選手とちょっと違うなぁ」となんとなく感じることがある。

がむしゃらに勝ちにいくけど、決してそれだけじゃない魅力がTV画面を通して伝わってきて、
勝てなければマスコミやネットで袋叩きに合うような時代は
もうずっと昔のことに思えてくるから不思議だ。

芸術性も採点化されるハーフパイプフィギュアスケートといった競技が、
勝利至上主義とそれとは相反するスポーツの魅力との輪郭を見せてくれるような気もする。


だから、ニュース番組なんかに出ている本業が何だか分からない勝利至上主義思考の時代のおじさんが
五輪のメダリストをありったけの情報の中からしたり顔で解説しているのを見かけたりすると、
なんだか滑稽すぎて笑えてきてしまう。

そんなとき、自分は生でスポーツを観たり語り合ったり、
自分でもやってみたり、
はたまた観戦経験を伝えてくれる友人がいてよかったなぁと思わずにはいられない。

同じ勝利至上主義でも、現地とTVの前では観戦の文法はまるで異なるもので、
それに自覚的な人とそうでない人の差の断絶は意外と深いものだと日ごろから考えているからだと思う。

それでも、新しいタイプの選手が出てくると観戦の文法も変容する。
本当にいい選手というのは、ファンの観戦文法を変容させることのできる選手だと思う。
スタジアムとTVでは違いすぎるスポーツ観戦の文法が少しずつ変容し、
観る側も自分で意図的に変容できるのだなぁと思って、ちょっとわくわくするソチ五輪でした。



自分の競技歴の件は不要ですが、
いつかどこかで書きたいのでメモ代わりに書いておきます。
どうぞご容赦を。