ピリオドを打っても、続きがあるもの

昨日、ふと裏方時代の友人にメールを送った。

彼は今でもその仕事を続けている。
初めて一緒になったのがお互い高校生のころだった。
ほとんどの仲間は進学や就職を機にフェードアウトしてしまったから、
ずっと続けられる彼はすごいし、うらやましい。


二十歳くらいの自分にとって、その仕事は生活のなかで一番好きなものだった。
当時も「一生この仕事を続けたい」と思っていたし、
自分の人生はそれだけのために生きようというくらいに考えていたから、
限界を感じたときは悔しくてたまらなかった。


自分で決めたことが全くできないもどかしさは、
きっと誰にでもあると思う。

まぁ、歳を重ねるにつれ「悔しがっても仕方ない」
「自分には向いていない」「運がないのかなぁ」etc.
と諦めもつく。
時間が解決してくれるというのは、そういうことだと思う。

もちろん、諦めることは悪いことではない。
「再開」とか「復帰」「復活」を信じてがんばれるのも
人間の特権だと思う。
(※恋愛は含みません)

そういう希望があるだけ、まぁいいかと
友人とメールをしながら考えた。


根性論は苦手で嫌いだが、
あの仕事に関しては自分は根性を発揮できる気がするから
不思議なものだ。

「それって、なんだかんだ言って諦めてないじゃないか」と、
今読んでくださっている方の心の声が聞こえてくるようだが
煮詰まったら、一度思い切ってピリオドを打ってみるのは大切だなぁと思う。


これは仕事だけに当てはまらない。
勉強だって禁煙だってダイエットの目標体重だって
「自分にとって諦めきれないもの」というのは
心的に物理的にいったん自分の外に置いてみる。遠ざけてみる。

それでも自分のなかに鮮やかに息づくものがあるなら、
それを情熱と呼ぶのだと思う。



深夜テンションでポエムを書いてしまいました。

お許しください。