3年

3年、というのは不思議なもので、
早いような、もうそれほどの月日が過ぎたのかと感じさせられる。

3年前、友人が東北で被災した。
私も心細い思いをしながら、
彼女を決してひとりにしてはいけないと携帯電話を握り締めていた。

私の応援するクラブの選手たちはアウェイでの試合会場への移動中で、
早く帰れることを祈っていた。
夜中にクラブハウスに着いたという知らせが届いたときは安堵した。


3年経ってみて思うのは、
そして、こんなことは不謹慎で身勝手かもしれないが、
自分にとって大切な人にはいつも元気で笑っていてほしいと思う。
毎年、彼女が無事で本当によかったとしみじみ思う。

あくまで自分は、
日本全体が元気にとか、被災された方まるごと受け入れる度量は持ち合わせていないのだと思う。

彼女とも、3年目にしてあのときのことを少しだけ話すことができた。


そこでぼんやり感じたのは、
個人の記憶は時の流れとともに、すがた・かたちを変えられるものでいいのだということだ。

生々しくなく、少しずつ軽やかに、その人なりのかたちに変化できることがきっと
何かを「乗り越える」というプロセスには必要なことなのだと思う。

今年も彼女が元気でいてくれることに、
あの日心細かった自分を支えてくれた人みんなに感謝の意を。

そして、亡くなられた方が安らかに眠られること、
避難生活を送られる方が一日も早く安住されることを
微力ながらお祈りしています。