苦手意識はあまりあてにならない

たまには、朝に書くのもいいか。

ここ数日、眠い。
長袖のニットしか着用せず、まだ春が来たかは分からないが
今月はなかなかハードに働いたため、春眠をむさぼる土曜を過ごした。

春眠といえば、優雅なお昼寝のイメージだが
私が寝たのは夜だ。

午後まで本を読んでは写真を撮り、
溜まった録画を少し消化して、力尽きたように眠る。


昨日みたのは、ぶら美のウォーホル展の回。
なんでだか分からないけど、ウォーホルが苦手なのだ。

色彩も美しいし、革新的なこともしている。
今回展示されているという私物コレクション”タイム・カプル”の中身などみると、
旅先のグッズや化粧品の空き箱、香水・・・
おいおい、私の雑貨箱の中身とたいして変わらないじゃないか!
と妙に親近感が湧いたりもする。

それでも、作品に対して自分が突き動かされる気配を感じないというか
うまく言葉にならないし、
そこが彼の創作活動において意図されたものなのかもしれないが
すごく「つめたい」感じがする。

人間くさい温度や湿度や匂いのようなものを
私は彼の作品からほとんど感じることができない。


私は彼の作品や発想は嫌いではない。
おそらく、昨年ウォーホルを見たときにものすごい風邪をひいていて
ほとんど霞む視界で作品がベルトコンベアーのように流れるイメージで通り過ぎ
その割には不気味な存在感のようなものを感じた。


そうした印象が苦手意識につながったのだろうか。
放送を見始めれば夢中になり、
苦手意識などというものは案外アテにならないなぁものだなぁと感じる。

苦手意識って、生産性に身を投じた世界における
身勝手なジャッジのことなのかもしれないなぁ。
それこそ彼が批判したかったものかもしれない。

・・・などと、朝っぱらから思うのでした。

長文を失礼しました。