掃除にまつわるエトセトラ〜三次会〜

一度始めると止まらないのが断捨離という名の大掃除。
・・・大掃除という名の断捨離?

今日は

  • 雑貨箱の整理のつづき
  • 収納スペースをつくる
  • 押入れの整理

もう一日ずっと、ものを捨て続けていたのような感じさえします。

今日出てきたのは
学生時代の手紙やら日記やらサッカーの資料やらプリクラやらと、
雑貨箱は想像以上にカオスです。

高校時代の日記に至っては、ページをぱらぱらめくっただけで
読む気がうせるほど書き込まれていました。
昨日のエントリーがみせるカオスな様相を感じて、
人ってあまり成長しないなぁ・・・と思ったりします。

まぁ、写真を見たり日記をちょっと読み返したところ、
人(中年)って記憶を上書きしちゃう生き物なのだなぁ、と感じます。


雑貨箱といえ、
頂きもののお菓子の箱だったり、お気に入りのスニーカーの箱だったりするわけです。
だから、しゃがんで背を丸める体勢が殆どなので、
昨日から背中が痛くてたまりません。

掃除も体力だなぁ。
ていうか、そもそも自分は体力ないんだよなぁ。
などと泣き言を吐いていると、掃除の大先輩の母が言いました。

掃除はやれば絶対結果がでるからね。絶対スッキリする。
掃除ってね、捨てるものを選ぶだけなのよね。

なんだかスポーツのコーチが言う、
名言めいてるけど結局根性論じゃね?
と言いたくなる金言(?)ですが、大掃除(断捨離)とは
かくも苦しい作業なのか。
洋服以外は・・・
などとぼんやり考えています。

予めスペースの決まった中でパズルのピースを動かすような感覚で行える作業は楽しいけれど、スペースをつくる作業に楽しさを見出すのはまだ感じられません。

というのも、押入れや雑貨箱や引き出しって、
目に見えてきれいって感じにくいような気がします。
普段汚くて当たり前のように位置づけていたのかもしれません。

午後になって、母がケーキをご馳走してくれました。
二人でケーキなんていつぶりだろう?
片付けが苦手だった自分へのご褒美だね。(たぶん違うけど)
疲れたアタマと体に染みわたるほどよい甘さが大変美味しゅうございました。
母に感謝。


なにはともあれ、見えないところをきれいにするのは
なかなか骨が折れることよのう。

そして、きれいになった実感がさほど感じられなくても
人は掃除をやめられないものなのだなぁ。

などと感じた今日でした。
そして己に誓いました。

新しいものを手にしたとき「これ、あとで役立つかも」なんてものは役立たない。
今、用途が分からないものは役立たない。今すぐ捨てろ。

まだまだ作業は残ってますが、
「こんな色の家具を置いたらいいかな?」とか
「こんな大きさの棚が役立つかな?」とか
「どんなファブリックが部屋を素敵にしてくれるかな?」
と、少し部屋を変える方向に意識が向かうことがあります。

ちょっとした希望ですね。